一貫性のないテレビというメディア
■現状
- ドラマ
- 勉強なんかしなくても立派な大人になれるとの主張が大半を占める(一部を除く)
- ニュース
- 毎年、日本の学力低下を嘆く(授業時間の減少を原因とした報道)
これはテレビ局としてポリシーにかける行動なのではなかろうか?
両方の主張は共存できないと思う。なぜなら勉強しない青年が一部でもいる限り、学力の平均は下がるもので、学力の平均を上げると言う事は勉強をしない人も学力を上げてもらう必要がある。
■結果
- ニュースで不安を煽り、ドラマで安心させて視聴率を稼ぎ出すといった心霊商法にも近いような姑息なやり方が横行する
- ニュースをあまり見ない少年少女がドラマで勉強しなくてもイイと安直な考えを抱いた事により、学力の平均の低下は顕著に数字となって表れニュースのネタになる
これは社会の危険を煽るマスコミと、危険な社会に対して銃の必要性を説く全米ライフル協会、銃を使った犯罪に飛びつくマスコミといったような悪循環を生みだす構造と酷似しているのだ。
今、マスコミに必要なのは、報道の自由という言葉で美化しない自らに対する厳しい姿勢や、物事に対する一貫性のある主張だ。
■個人的主張
勉強しなくて日本の学力平均が下がる事よりも、様々な才の溢れる個々の人間を生み出せない教育というものに視点を移した方がよいと思う。確かに平均が著しく下がったら問題ではあるかもしれないが、そうでない限りは平均については気にする必要がないし、それよりも問題なのはオリジナルというものが存在しない『学生』や『青年』(=個々の主張、主義を持たない)だと思う。
もしも日本にアインシュタインや湯川秀樹ばかりなら、日本の物理の平均レベルは他国を引き離してダントツのトップだが、社会は成立しないであろう。
■結論
平均という社会の縮図は現代においては殆ど役に立たない。そしてメディアは多様化する社会で右往左往し一貫性のない主張を繰り返すが、マスメディアであればこそ社会が進むべき方向性を一貫性のある放送で示すべきだ。
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